デス・オーバチュア
|
ファントム。 その歴史は決して長くはない。 誕生は十五〜二十年程前。 活発に行動をするようになったのはここ一、二年に過ぎない。 七国の表の世界から弾き出された異形、異能の者達だけで結成された集団。 ファントムが、他の犯罪組織や秘密結社と一線をがしているのは、利に合わない行動をとっているということだ。 支配するわけでも、略奪するわけでもなく、ただ破壊と殺戮を繰り返す。 まるで魔族のように純粋に破壊と殺戮を楽しむかのように、利益を度外視した行動をファントムはとるのだ。 何の前触れもなく、突然現れ、瞬時に街や村を滅ぼす者達。 それゆえに、ファントムは国や勢力というより、災害(正確には人災だが)のように恐れられていた。 「まあ、ファントムについての一般認識はそんなものですわね」 ダイヤモンド・クリア・エンジェリックは優雅に紅茶を楽しみながら、ファントムについて語る。 場所は、クリアの王宮のとある一室。 彼女と向かい合っているのは藍青色の三つ編みの少女エラン・フェル・オーベルだった。 エランが仕事着である藍色のローブを着ているのに対して、ダイヤは自慢の長く綺麗な金髪がよく映える純白の清純なイメージのするドレスを身に纏っている。 どこから見ても、深窓の令嬢か、お姫様といった感じだ。 「そして、一般ではなく、クリアの諜報能力による情報もそれと大差はなかったりしますわね」 ダイヤは幸せな表情でミルクティーを飲み干す。 「言ってくれますね、ダイヤ様。まあ、確かに誇れる程の情報はあまりありませんが……」 エランはハーブティーに口をつけながら、答えた。 「ファントムの総帥の正体とその背後関係、それすらいまだに掴めてない無能ぶりですものね」 「他の幹部……十大天使についてはそれなりに資料を揃えています。もっとも、あの男以外の者は正体が化物だと解っただけなようなものかもしれませんが……」 「まあ、天使や悪魔の個人個人の資料なんていくらクリアでもあるわけありませんものね……テオゴニアでもあれば別ですけど」 「そういった意味では一番資料があるのは……あの男です」 「あの御方ですか……」 あの男というのが誰のことなのか、名前を出されなくてもダイヤには解る。 つい最近、初めて直に会ったばかりの男だ。 ファントム十大天使で唯一とも言うべき純粋なる人間……少なくとも元は人間として生まれた者。 そして、人間でありながら悪魔や天使よりもあらゆる意味で質の悪い男のことだ。 コクマ・ラツィエルと名乗るファントム十大天使第二位の男、ファントムという組織はこの男と総帥アクセルの二人が作ったと言っても過言ではない。 コクマ・ラツィエルという名はファントムの幹部として以外では有名ではない、有名なのは彼の本名でもあるルヴィーラ・フォン・ルーヴェという名だ。 有名といっても、学のある者、特に歴史に興味のある者でなければ気づかないかも知れない。 ルーヴェ(獅子)帝国、かって存在した、今の東西南北中央全ての大陸を合わせたよりも広大な大陸全域を支配していた国。 その国の最後の皇帝の名、父王と母と兄を惨殺し皇位につき、全ての大陸を巻き込んだ魔導大戦を引き起こした歴史上最悪の皇子。 その大戦の結果、ルーヴェ帝国の支配する大陸は海に沈み、魔導という技術の大半が全ての大陸から消滅することになった。 「今はそちらの名の方をコクマという名を隠すための偽名にされているのか、堂々と名乗られましたわ。もっとも、クロスは気づかなかったようですけど……」 「クロスは、歴史……いえ、学術全般駄目でしたから……」 魔術の実践や知識においてはエランに優りながら、学問、一般教養といった知識では劣等生ギリギリ……それゆえにクロスは次席なのである。 「魔導大戦……三、四千年程昔でしたわね?」 「三千か、四千て……グローバルですね。七国、今の中央大陸の歴史などたった千年しかないというのに……」 「あら、千年『も』よく保ったというものですわ。四海、そして次元の『鎖国』がよくも千年も維持できた……おかげで、今の中央大陸は魔の力がとてつもなく薄い……魔族の力を借りる魔界魔術など古代魔術と呼ばれ、極一部の物好きしか使わない……いえ、使えないというべきかしら?」 ダイヤとエランは同時に口元に苦笑を浮かべた。 その物好きの一人をお互いに良く知っている。 とてつもなく身近に一人居るのだ。 「上位魔族どころ、中位魔族すらまず今のこの世界には来られない……それほど、今の地上と魔の世界の縁は途切れている……もっとも、とんでもない例外が存在しますけどね」 「例外は例外ですから、気にすることありませんわ」 「まあ、あなたがそう言うなら……そう思うことにします」 「……あら? もしかして、話がずれてました?」 ファントムについての話だったはずが、そのファントムの一人である四千年を生きる男の話題から中央大陸の歴史的なことにまで流れてしまっている気がする。 「いえ、確かにずれましたが……結果的にそれは今回のことに繋がるのです」 「あらあら、それはどういうことなのか、詳しく教えて欲しいですわね」 クリア国の宰相と公爵令嬢のお茶会という名の密談はここからが本題だった。 「ああ、やっぱりあそこにはありませんでしたか? 代わりに大量のウランですか、それはある意味大変価値がありますね」 クリアに戻るなり、クレームを言うためにダイヤの屋敷に駆け込んだクロスに対し、ルヴィーラはぬけぬけとそう言った。 「では、お詫びの印にこれを差し上げましょう。機会がありましたら、今後ともセフィロト商会をご贔屓に」 そう言って、別れ際にルヴィーラがよこした古書を、今クロスは読んでいる。 『セファー・ラジエル』 そういうタイトルらしいその古書は確かに、クロスにとって興味深い書物だった。 だが、 「……まったく読めない……」 現時点ではクロスに何の利益ももたらしていない。 半日程解読作業を行っているが、今だ一ページも解読できていなかった。 クリアの図書館。 今そこにはクロス一人しか居らず、細長いテーブルはクロスの散らかした書物で埋め尽くされていた。 「だいたい何よ、この不可解な文字……古語とかそういうじゃなくて、そもそも人間の文字と根本的に違うような……これならまだテオゴニアの解読の方が楽だったわよ」 テオゴニアの場合はあくまで、古い言葉やアナグラム(文字入れ替え)が大量に使われていただけで、辞書や資料さえあればそれ程解読は難しくはなかったのである。 しかし、この書物の場合、まったく見たこともない文字が使われているのだ。 この文字がなんという文字なのか、まずそれが解らなければ解読など夢のまた夢である。 「うわっ、お姉ちゃん、すごい散らかしてるね」 いつのまにか、クロスのすぐ傍に幼い少女が居た。 古書に意識を完全に集中していたせいだろうか、ここまで接近されるまでこの少女の気配に欠片も気づかなかったのは……。 「……ん? あなたどっかで……」 十歳にも満たない幼い少女。 青とも銀ともつかない、不可思議な青銀色の髪をしている。 少女はメイド服のようなデザインの青一色の可愛らしい洋服を着ていた。 「確か、この前洞窟で……」 「お姉ちゃんが読んでるの、このご本?」 幼い少女は、クロスの膝の上に飛び乗ると、古書に目をやる。 「ちょっと、あなた……?」 「えっと、この本は……天界と地上における秘密のすべてを記したものであり……」 少女は、クロスが何か言うよりも早く、いきなり古書を読み上げだした。 「ち、ちょっと、あなたまさか、これ読めるの!?」 「うん、これ天使語だよね。それも、普通の天使語じゃなくて秘密文字も多く使われてるから、天使でも読める人少ないんじゃないかな?」 「……天使語……そりゃ、読めるわけないわね、普通……」 つまり、それはこの幼い少女が普通じゃないということでもあった。 「ねえ、あなた、お名前は?」 「アルテミスだよ」 「じゃあ、アルテミス、お姉ちゃんの代わりにこのご本読んでもらえないかな? お姉ちゃん、このご本が読めなくて困ってたんだ」 相手が子供ということで、優しく、かといって相手を馬鹿にするような幼児語などは使わずに、クロスは少女に自然にお願いする。 「うん、いいよ。迎えが来るまで良ければ」 「じゃあ、お願いね」 「うん!」 少女は再び、古書の内容を読み上げ始めた。 大まかな本の内容は解った。 セファー・ラジエル……つまり天使ラジエルの書。 肝心の書の内容は、項目は1500項目にも渡り、世界のあらゆる謎を 解き明かし、さらにあらゆる奇跡や魔術の使用方法まで事細かに記されていた。 いつ少女の迎えが来るか解らないので、とりあえず大まかに全体を読んでもらっただけで、まだ細部は読んでいない。 完全な解読、全ページを読み上げてもらうのは時間的に無理だろうから、とりあえずどこにどういったことが書かれているのかだけ教えてもらい、後は自力でゆっくり解読するつもりだ。 そして、その判断は正解だったようである。 クロスが少女から教わりたかった最低限のことを丁度教わり終えた時、一人の男が図書館に姿を現した。 長身の細身を漆黒のロングコートに隠した、銀髪に青眼の青年。 青年はとても冷たい印象のする美貌をしていた。 「お兄ちゃん〜」 少女はクロスの膝から飛び降りると、青年の傍まで駆け寄り、青年の腰の辺りに抱きつく。 クロスはその青年にも見覚えがあった。 「やっぱり、あなた達クリスタルバレーで出会った……」 「遊んで貰っていたのか?」 青年はクロスは無視して、少女に話しかける。 「うん、ご本読んであげてたの」 「読んであげた? 読んでもらったではなく、読んでやってたのか」 「うん!」 青年は初めてクロスの方に視線を向けると、冷たい微笑を浮かべた。 「妹と遊んで、いや、遊ばれてくれて一応礼を言っておこう」 「むっ……」 クロスは青年の言い方に嫌味を感じ、微かに顔を歪める。 「行くぞ」 青年はクロスに背中を向けると、少女と共に歩き出した。 「ちょっと、あ……」 クロスが声をかけるより早く、二人の姿は遠ざかっていく。 「……それにしても」 クロスは少女に読み上げてもらっていた古書を手に取った。 「あきらかに普通じゃないわね、あの二人……」 天使語をスラスラと読み上げる幼い少女と、あきらかに只者ではない雰囲気を漂わせている冷たい美貌の青年。 「……まあ、今は天使語の解読が先ね」 クロスはそう呟くと、必要な書物を探すために図書館の奥へと消えていった。 「お兄ちゃんか、懐かしい呼び方だな」 「だって、人前ではあんまり名前を呼ぶなって言ったよ」 クリアの王宮の廊下を青年と幼い少女が歩いていた。 「ああ、そうだったな。良く覚えていたな」 青年が冷たく微笑むと、少女は嬉しそうに明るい笑みを浮かべる。 二人が廊下を歩き続けていると、廊下の奥から一人の少女が姿を現した。 漆黒の長い髪に黒曜石の瞳、黒い法衣を纏った十七歳ぐらいの少女。 異常なまでの美女だが、整いすぎた容姿と切れ長の目が鋭すぎて、どこか怖さと冷たさを感じさせていた。 黒い法衣の美女は一瞬だけ青年と少女に視線を向けた後、何も言わずに二人の横を通り過ぎていく。 美女の姿が遥か後方に消えたのを確認すると、少女は青年に話しかけた。 「凄い美人だよね。アレが……クリアの死神かな?」 「おそらくな」 「六番目のお姉ちゃんにちょっと似てるかな? 怖いほどの美貌と冷たそうな雰囲気が……」 「……ついたぞ」 青年は豪奢なドアの前で立ち止まる。 さて、いつものように蹴り開けるか、それとも王宮らしく礼儀正しく開けてやるか、とか青年が考えていると、ドアが独りでに開いた。 「……自動ドアか、それなりに科学技術が残っているようだな」 青年はドアが開ききると、室内へと足を踏み入れる。 部屋の中には二人の女性が居た。 藍青色の髪を三つ編みにした大人びた容姿の少女と、長くボリュームのある金色の髪をした愛らしい少女。 「ようこそ、クリア国へ。お待ちしておりました、ガイ・リフレイン殿」 藍青色の髪の少女は礼を尽くした挨拶で、銀髪の青年ガイ・リフレインを出迎えた。 「あはははは〜っ♪ あはは〜っ♪」 全裸の赤毛の女は笑いながらベッドから離れた。 「ご機嫌ですね、イェソドさん」 赤毛の女が立ち上がったベットにいまだに横になっている男が女に話しかける。 「あは〜っ、久し振りに燃えましたね。もっとも、相変わらずあなたは淡泊でしたけど〜」 「だったら、ゲブラーさんにでも相手してもらったらどうですか? 彼なら激しく抱いてくれますよ」 「私は野蛮な男は嫌いなんですよ〜」 イェソドはすでにいつものワインレッドの扇情的なドレスを身に纏っていた。 「そういうあなたこそ、ビナーちゃんか、ケセドちゃんを抱いてあげればいいのに。ビナーちゃんなんてあなたに抱かれたくて仕方ないはずですよ〜」 ベッドの上の半裸の男は口元に冷笑を浮かべる。 「私は嫌いなんですよ、私のことを好きだという人は」 「ひねくれてますね〜」 男がベッドから腰を上げると、いつのまにか姿を現した水色の髪の美女が男に服を着せていた。 「前から気になってたんですけど、アトロポスちゃんは、愛しの御主人様が私とこういう関係なことにやきもち焼いたりしないんですか?」 アトロポスは涼しげな、余裕に溢れた笑みを浮かべてイェソドの問いに答える。 「なぜ、嫉妬などしなければいけないのですか? 私とお館様は同一の存在、肉の交わりなどする必要もありません。性交など、永遠に理解し合えない、一つになることができない他者同士の互いへの干渉に過ぎません」 「なんか小難しいですが、要するに自分が一番御主人様を理解している、愛し愛されていると言いたいんですか?」 「違いますよ、イェソドさん。私とアトロポスの関係は愛や恋などといった不確かで変動しやすいものではないんですよ」 いつもの黒ずくめの衣装を身に纏い終えたコクマは左手を横に差し出した。 「神剣との契約とは一種の同化のようなもの。私、コクマ・ラツィエルは神剣トゥルーフレイムであり、神剣トゥルーフレイムはコクマ・ラツィエルでもある」 アトロポスの姿は水色の炎と化し、水色の炎は水色の半透明な剣の姿を形成する。 「肉体も魂も意志も全てが解け合い一つと化す。どこからどこまでが私の記憶、知識、意志なのかそれすらもはや意味をなさない」 コクマは左手で水色の剣を握り締めた。 「つまり、文字通り自分の体の一部ってわけですね?」 「そんなところですかね。では、行きましょうか」 コクマが水色の剣を軽く振るうと、水色の炎がコクマを包み込む。 そして、水色の炎が消え去ると、コクマの姿も共に跡形もなく消え去っていた。 「要は私とあの子のような関係なわけなんですね。二つだったものが一つになったのと、一つだったものが二つになったの違いこそあれ……」 イェソドが赤い羽団扇を扇ぐと、紅蓮の炎の渦が彼女の周りを取り巻く。 「さて、今は余計なことは考えずに、純粋に祭りを楽しむとしますか……七国滅びの祭りを……」 イェソドの姿は炎の渦と共にその場から消え去った。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |